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「知の泉英語教室」が目指すもの

     ――私の経験から――

 

この度、「知の泉英語教室」を開講致しましたが、この教室での英語教育についての基本的な考え方について申し述べさせていただきます。

この教室の代表ならびに講師を務める吉田寿昭です。私は中学校で初めて英語を学習し始めました。私は高校時代に1年間、その後成人してから大学院に2年間、いずれも米国ですが留学という経験をしております。米国ではこれ以外に9年半勤務した経験がありますので、米国での在住という意味では総計で12年半となります。しかし、英語については、中学校に入学する前に日本国内でいわゆる特別な「英語塾」とか「英会話学校」といったところに通ったことはなく、学校以外で特別な英語教育を受けた経験はありません。敢えて言えば、学校以外の学習としては、中学1年生の時からNHKのラジオ講座をずっと聞いていたことと、その後の留学ということになります。特に高校時代の留学は、17~18歳という若い頃でしたので、英語の上達という観点からは、それなりのプラスの効果はあったと思います。100人程度いる留学同期の中には、大学で英語の教鞭を取ったり、同時通訳をしている人も少なくありませんので、そういう人たちに比べれば私は決して自慢できるほど英語が上手いわけではありませんが、何とか英語を上手く話せるようになりたい、あるいはいい英語を書けるようになりたい、という気持ちは持ち続けてきたつもりです。

 

米国での経験の中で、英語についていくつか嬉しかったことがあるのですが、例えば、電話をして、相手(アメリカ人)から別の人(アメリカ人)に間違えられたことがあります。また、仕事をしていた時、仕事のパートナーだったアメリカ人から「お前は二世か」と聞かれたこともありました。これら二つの経験はいずれも些細なことですが、自分の英語がアメリカ人の英語に近いと受け取られているんだなあ、と感じさせるという意味で、気持ちの悪いものではありません。しかし、これはそれほど重要なことではありません。

 

私にとってそれ以上に嬉しく、また自信に繋がったのは書いた英語を褒められたことです。一つは大学院に留学中、学期末にターム・ペーパー(小論文)を書くことが多いのですが、教授から「お前の英語は素晴らしい。アメリカ人の学生に見せてやりたい。彼らの書く英語はお前の英語に比べたらお粗末そのものだ。」と言われたのです。正直言ってそこまで褒めちぎられるほど私は自分の英語が上手いとは思っていないものの、そう言われれば悪い気がしません。

 

もう一つは勤務中のことです。米国の会社には日本でいう法務部長に相当するポストに、General Counselと称する弁護士資格をもった人がいて、社内で重要な地位を占めているのですが、この人に対外文書の事前チェックをしてもらうことが多いのです。弁護士は言葉を使って依頼人を弁護しますから、言葉の使い方には細心の注意を払うため、文章のチェックにはうってつけなのです。企業としても、おかしな英語を使って文書を出してしまうと、あとで訴訟になった時に大きな問題に発展する可能性があるので、このチェックはとても重要なのです。

 

一般に、法務部長のところに我々日本人が英語で書いた文書の原稿を持っていくと、全く意味不明で、何を書きたいか逆に質問を受け、最終的には法務部長がゼロからレターを作り直さざるを得ないことになることも、決して珍しくありません。そこまでひどくない場合でも、なんとか言いたいことは分かるものの、英語ではこう書かない、と言われ、実質的には法務部長が英語らしい文章に書き直すことがかなり多いのです。その結果、全く見違えるものができてきます。英語がある程度できる人が書いた原稿で、一応内容が明瞭にわかる文書であっても、添削の結果隅々までぎっしり赤ペンで埋まってしまい、原形は辛うじてとどめているという程度になってしまうことも珍しくなく、むしろそれが普通だといっても過言ではありません。実際大抵の日本人が書いた原稿はほとんどが上記のいずれかの結果になります。

 

私の場合、幸いにも1~2か所の修正で済むことが多かったのですが、ある時、このGeneral Counselから「お前はどうしてこんなに上手く英語が書けるのだ?」と訊かれたことがあります。というのは、彼いわく「この企業には英語を話すのが上手い人は山ほどいるが、正直言ってほとんどの人が英語を上手く書けるとはいえない。お前はどこでどうやって英語を勉強したのだ。」と訊かれたのです。実際私の勤めていた企業には、帰国子女だった人もたくさんいましたので、ネイティブとほとんど同レベルで英語を話すことができる人が多くいましたし、大学院レベルの留学経験者もたくさんいました。恐らく両方とも10人以上いたと思います。中には帰国子女であり且つ留学経験者という人も何人かいました。ここでは現地のアメリカ人が一人でも加われば、会議はすべて英語で行われていましたので、確かに話す英語の水準は日系企業の中でも相当高かったといって間違いないでしょう。私は法務部長の質問に対し「勿論留学経験があるので、これが大きな力となっているのは間違いないものの、私の英語の骨格を形作っているのは日本の学校で習った英語だ。」と答えたのを覚えています。

 

この時私が答えたことを敷衍しますと、骨格となっているのは日本で学んだ英語、すなわち文法をしっかり理解し、英語と日本語がどれほど、どのように違うかということをしっかり身につけた上で、海外での留学を経験することにより、しっかり肉付けができてきたのだ、ということです。中でも特に私が力をいれたのは、日本語を英語にする訓練です。英語を読んだり聞いたりして理解するのはある程度繰り返し学習すればかなりの人が上達することができます。現実にも英文和訳が得意な日本人はかなり多いといっていいでしょう。しかし、日本語の内容を正しい英語で表現することは決して容易ではありません。話すことも簡単ではありませんが、話し言葉はあまり厳密さは求められないため、以心伝心やジェスチャーで通用することも少なくありません。言葉は悪いですが、ある程度ごまかしが効くのです。これに対し、書くことはごまかしが効きません。日本語の内容を正確に英語で表現できるように訓練した結果が、私の場合、手前みそながら、大学院で教授からお褒めの言葉をいただいた結果となったのではないかと思っています。

 

「知の泉英語教室」は、ここで学ぶお子さんに、英語を学習するのに最も適したタイミングを逃さずに、英語の学習を開始していただき、効率的に英語を習得していただくこと、そして、かつて私が経験したのと同じような経験をしていただきたいという気持ちからスタートしたものです。多くのお子様がこの教室で英語を学習し、将来英語を使ったお仕事で活躍できるようになれれば幸いだと思っております。英語を使う場は、国際的なビジネスはいうまでもありませんが、政府・地方自治体の仕事でも国際的な交流・交渉がありますし、その他研究者の学会における研究成果・論文の発表など、様々な形が考えられます。将来自信をもって英語を使っていただくための基礎を10代前半に身につけておくことは、貴重な財産になるものと信じております。多くのお子様が当教室にご参加され、国際人としての将来を切り開く一歩としていただくことを期待しております。

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